烏丸通の謎: かっぱ語録

本日私は疲れている
烏丸通沿いにある大垣書店
幾ばくかの本を買い 店を後にしようとしたときのこと
小学校に入学したかどうかくらいの少女が母親に駄々をこねている
ほしい本があるらしい
どんな本なのだろうとみてみると【かっぱ語録】という本であった
なんだこれは
まったく中身が想像できない
可愛らしい河童の表紙であるが小さな子供が読む類の本ではなさそうだ
「語録」にふりがながふっていない
なぜ少女はこの本がほしいのだろうか
何を見てしまったのだ
それにしても中身が全く分からない
河童の手記か何かだろうか
河童ってなんだ?
何かの隠語か何かか
某寿司屋の地下には河童が幽閉されているという噂を聞く
彼らと関係のある書物なのだろうか
疲れすぎていてそんなことを考えながら帰路についた

熊野三山_3日目

6月16日
昨夜は夕食を食べた後、神倉神社と速玉大社のルートを途中まで下見に行ってきた
準備は万端である
今日も朝食はホテルのビッフェにした
昨日とメニューが違う!
魚の代わりにシュウマイがある!
マカロニサラダは昨日なかった!
中華春雨もおいしそうだ!
紀州の漬物はおいしいのだろうか
満足である

朝食がうまい

今日は最終日
帰りの時間も考えながら行動をしなければならない
そんなに時間もない
朝食後は荷物をまとめ、フロントにお礼を言ってから神倉神社へ向かった
神倉神社は何が有名かというとそれはもう「ゴトビキ岩」であろう
神社好きなら写真で一度はみたことがあるであろう
和歌山にあることは知っていたのだが山奥にあるものだと勝手に思っていた
それがなんと新宮の町から歩いて行ける範囲にある!
ゴトビキ岩を見るだけであるなら国道42号沿いに「神倉神社フォトスポット」と看板のある駐車場から見ることができる
だが遠くからなので小さく見えてあまりあり難さを感じない
これは目の前で見ないと感動が味わえないのだ
見た感じそこまで高くない山の上にゴトビキ岩が見えたので行くのに苦労しないと思った
道も複雑ではなくすんなり最初の鳥居まで来れた
「毒へび(まむし)に御注意下さい」の看板を見つけた
出てこないことを祈る
私以外にも旅行者が一人いた
だいたい同じくらいのタイミングで登り始め、そして途中で引き返した
石段を登っていくのだが、もはや石段ではない
ただ石が積まれただけの絶壁である
二足歩行すら困難なのにこれをこんどは下るとなるともう危ない
降りた後その旅行者と「こんなもん登れませんわな ははは」と談笑していると上から誰かが下りてきた
目を疑った
人間か?
人間にあらず仙人に違いない
仙人に問うた
いかにして登るのかと
仙人答えて曰く「目に見えているところだけが急で、それを超えれば楽」とのこと
私と一緒にいた旅行者の方は登るのは無理と考えて帰ることにしたようだ
私は彼にはフォトスポットが国道沿いにあることを伝えておいた
せっかく来たのに残念である
さて私は登ると覚悟を決めた
仙人によるとどうやら片道30分くらいで登れるらしい
もはやこの断崖絶壁を二足歩行で登るのは無理と私のシナプスたちは結論をだした
そこから導き出される答えはただ一つ
四足歩行である!
もはや人間としての尊厳などというものは捨てて獣になるのである
私は頭を稲穂のように山頂のほうへ垂れて四足歩行を始めた
ホントに坂が急でつらい
こういうときは「えっさほいさ」と声をだすと良いとどこかで聞いたことがある
プラシーボ的なものかもしれないが多少呼吸が落ち着いた
そんな私の様子を揶揄うように石段をカニがうろうろしていた
汗がしたたり落ちる
ボロ屋の天井から雨漏りしているようである
たしかに仙人の言う通りとても急な斜面は最初の2~30mくらいだったと思う
そこを過ぎると平らな一休みできる場所が現れ
それ以降は二足歩行で歩ける斜面になった
ある程度登ると石段が途中までしかない場所に着いた
横に小さな道があり手水舎もあった
山の下にも手水舎があったがここにもあるのはあり難い
汚れた手を洗って道を進む
道はすぐに終わってひらけた場所にでた
太平洋が見える
絶景である

良い景色



筆舌に尽くし難い感動である
神倉神社は24時間開放されている
明け方前に山を登り、朝日をここから見ると素晴らしいものになるのだろうと思った
そのひらけた場所の横に石段があり上に小さな祠と巨大な岩があった
ゴトビキ岩である
言葉が出ない
なぜこんなところにこのような大きな岩があるのだろうか
人知の及ばない力がここまで持ってきたとしか思えない不思議さがあった

ゴトビキ岩



ご神体の岩に祈った後しばらく余韻に浸ってから下山した
下山するときにまた何人か登ってくる人たちを見かけた
その中に小さな童がいたのが衝撃的だった
あれはきっと仙人に違いない
鵺があるときは虎に、猿に、蛇に見えるように仙人も小さな童に見えたのであろう
私の目はごまかせない!あれは仙人だ!
登りよりも下りのほうが危ない
三点支持を意識しながら少しずつ後ろ向きに降りて行った
途中、杖をついた老人が登っていくのを見た
老人は旅行者らしく「初めて登る」そうだ
下りは危ないだろうから気を付けることと、最悪杖を捨てて四足歩行で下ることをお勧めした
山の一番下にも賽銭箱があったので老人の無事の下山を祈りつつ速玉大社へ向かった

朝の9時台だったと思う
おそらく観光客が多く来る速玉大社もこの時間は静まり返っていた
やはり神社は静かなほうが落ち着く
神倉神社の御朱印もこちらでもらえた
私はこの速玉大社でぜひ見たいものがあった
神像である
仏像というものは寺に行けばほぼ見つけることができるが神像はめずらしい
もともと神社の神様は山、岩、滝、木などの自然物や、鏡や刀などを依り代とするので神像というのはなかったのだ
それが奈良時代に本格的に仏教が入り始めるとその影響を受け仏像にならって神像を作り始めたそうだ
速玉大社でそれがみれると聞いていた
熊野神宝館という場所にありそうだったのでそこに入場した
受付の方に聞いたところ確かに神像は速玉大社のものであるが
保管は和歌山県立博物館が行っているそうでここにはないとのこと
残念である
しかしせっかく来たので展示物をみることにした
入場料は500円だったと思う
南北朝時代のものが多く展示されていた
特にすごいと思ったのは「髪くし」である
おそらく機械でもあそこまで精巧な加工はできないであろう
しかも加工物は金属ではなく脆い木材である
また他の装飾品についても工作機械のない時代にどうやってここまで正確なパターンを加工したのだろうとか
当時の職人たちの技術力の高さに感動していた

速玉大社を見終わってまだ時間が1時間半くらい残っていたので阿須賀神社へ向かうことにした
ホテルのフロントの方がお勧めしていたお菓子屋さんを途中で見かけた
行列ができていた
お土産を買わなければならない
そう思って入店したのだが 時間がない
私は焦っていてあまりお菓子を見れずにその辺のお土産屋にもありそうな飴玉を買ってしまった
買った後に何をやっているのだと思った
次回 神宮に来た際はちゃんとお菓子を吟味したい
途中で新宮城跡も通過した
ここも見たかった
非常に残念である
また来る機会があれば次はぜひ見たい
須賀神社には非常に面白い祠がある
徐福之宮である
徐福とは秦の始皇帝に不老不死の仙薬を献上するとかで大陸の東に渡った人である
この近くには徐福の墓なるものもある
実際に徐福がこの地へやってきたかは今のなっては不明である
ここでも御朱印を貰うことにした
社務所にいた宮司さんか氏子さんかわからないが対応してくださった方がとても気さくな人だった
御朱印御朱印帳に記すもののほかに良さそうな特別御朱印があったのでそれも頂いた
「調和」を意味する御朱印らしい 非常に良い意味でぜひ欲しいと思ったのだ

帰りはJR新宮駅から出ている「特急くろしお」を利用した
来る時と同じ日本一長い路線バスを使おうとも考えたがそれを使うと速玉大社と神倉神社が行けないからやめたのだ
11時半くらいに発車する列車に乗車した
乗ってから思ったのだが可能なら窓際Dの席をお勧めする
私は窓際Aの席だったのだがDなら太平洋を眺めながら帰ることができた
15時40分くらいに天王寺、だいたい16時くらいに新大阪に到着した
今回の旅のお話はここまでである
なかなか良い旅であった

帰りの切符

 

 

熊野三山_2日目

6月15日
朝は6時半くらいに目が覚めた
セットしていた目覚ましが鳴る5分くらい前にいつも目が覚めるのだ
人間の体とは不思議なものである
前日にフロントで朝食券をもらっていたので朝はホテルで食べることにした
食堂は1階のフロントすぐ横の部屋であった
ビュッフェ形式だった
キャベツの千切り、魚、ハム、白米、みそ汁を頂くことにした
おいしい
特別趣向が凝らされている料理でもないのにすごく美味しく感じた
疲れているのだろうか?

朝食1

部屋にもどったら観光ルートの確認である
熊野本宮、速玉、那智は確実に行こうと思っていた
上の順番に巡るのが正規な参拝順序らしい
三山をすべて1日で巡る観光ツアーバス紀伊勝浦駅から出ていた
しかし私は自分のペースで観光したかったのでこれを利用しないこととした
その場合、1日ですべて巡るのはギリギリいけるか際どいことが分かっていた
私は本宮、那智を15日に巡り、速玉は間に合わなかった場合16日に巡ることとした
速玉はホテルの場所から徒歩で行ける範囲内なので帰る前に行くことが可能であった

まずは本宮である
8時半くらいのバスに乗って1時間かけて本宮大社前まで移動した
昨日に見た大きな黒い鳥居が見える
「あそこへ向かうのか!」と思い何も考えず足を進めた
あたり一面田んぼの場所に大きな鳥居がそびえたつ
よく見ると鳥居の上のほうに八咫烏の印があった
足が3本あるから八咫烏であろう

あそこが本宮大社!?



鳥居の近くには「祝 世界遺産登録20周年」と横断幕が掲げてあった
一礼して鳥居をくぐる
石碑に「熊野本宮大社 旧社地大斎原」と書かれている
「ん?」と思った 「旧社地?」
とりあえず進むこととした
高野山へ行った時もそうだがここにも小さな石を積んだものを見つけた
あれも信仰の対象なのだろうか
写真撮影している人が何人かいたので私も写真撮影してしまったが
後で知ったが、ここは撮影禁止の場所だったらしい
残念だが写真のデータは削除した
それにしても建物が何もない
それもそのはずである ここは「旧社地」なのだから
以前、熊野本宮大社はここにあったらしいのだが、水害で流されてしまったそうだ
「では今は本宮大社は存在しないのか?」
私はだいぶ頭が混乱したが、とりあえず来た道を戻ることにした
google mapを確認して面白い施設がないか調べてみると「熊野本宮大社」があるではないか!
「どういうことだ!?」
私はその場所まで行ってみると「本宮大社」が存在していた!

今度こそ本宮大社



どうやら私はあの大きな鳥居に騙されてあそこに本体があると勘違いしていたようだ
しかし初めてくる人は絶対あの鳥居のほうに本体があると思うんじゃなかろうかと思う!!
さて新しい場所に建てられた本宮大社には石段を登っていかなければならない
つまり高い場所に建てられているのである
私はダーウィンの進化論感じた
神社は高いところにある傾向があるが
これは低い土地で水害にあった神社が自然淘汰された結果である
進化論は生物だけでなくこういった建造物にも当てはまるのかと思った
石段をある程度登ると手水舎があるのだが、その横に興味深い看板を見つけた
「修験者の皆様へ」
私は修験道というと仏教(密教)のイメージがあったのだがこういった看板が神社にあるというのが面白く感じた
この様相は拝殿の横にある看板を見てなおのこと深まった
祭られている神様の名称の横に「本地仏~」と仏様の名前が書かれている看板を見つけた
これは神仏習合の影響を強く受けているもので「本字垂迹説」と呼ばれる
神様が実は仏様の仮の姿であるという考え方である
似たような考えに「神本仏迹説」というものがあるが
本地仏~」から察するに「本字垂迹説」であろう
いずれにせよここは神仏習合の影響が強く残っている神社であると思った
さらに興味深く感じたのが天照大神本地仏が十一面観音であったところである
よく天照大神大日如来を同一視する考えを目にするので意外に思った

さて参拝が終わったら社務所御朱印である
ちょうど御朱印帳を使い切ったところなので新しい御朱印帳も買うことにした
記念すべき1ページ目が熊野本宮大社
なかなか良い
御朱印帳も八咫烏の絵があり熊野でもらったことが一目でわかるものである
次はお守りである
お守りを買うのは私の中では絶対条件ではないのだが、非常に非常に惹かれるお守りを見つけてしまった!
「本宮特大導守」・・・5,000円っ!!
なんだこれは!?
A3の紙くらいのサイズがある!!
もうこれは買おうかどうか迷った
迷った結果ここへはそうそう来ないのだから記念にいい思い出を買おうという結論に達した!
かくして私はこの枕のような巨大お守りを買うことにした
社務所の巫女さんに買うことを告げると「本当に買うのか!?」というような珍獣でもみるような目で見られてしまった

巨大お守り 5,000円なり

さて次は那智大社だが新宮駅まで戻らなければならない
戻りのバスがやってくるまで1時間ほどあるので食事をすることにした
何件かお食事処があったが「しもじ」というお店に入ることにした
おいしそうなメニューがいろいろあったが、できることならその地域にちなんだものが食べたい
「熊野牛 牛丼 1,100円」を食べることにした
牛丼には玉ねぎ、長ネギ、シラタキが入っていた
美味しい
漬物も美味しい
この店に入って正解だった

牛丼おいしかった




まだ時間があったのでバス停近くの「和歌山県世界遺産センター」を見学することにした
入ると杉の木の香りがする 良い香りだ
修験道に関する展示が多いように感じた
観光のお土産を展示しているコーナーに面白いものを見つけた
八咫烏の達磨である
これは姪っ子と甥っ子に良い土産になると思った
達磨も私の部屋に飾られて祭られるよりも
小さな童に転がされたほうがうれしいであろう
転がされすぎて八咫烏が白烏になってしまうかもしれないが・・・

八咫烏だるま


職員の方にどこで売っているか聞いてみるとバス停近くのお土産屋で売っているそうだ
行ってみて値段を見ると3,000円くらいする
2個買うと約6,000円である!
もうこれは買おうかどうか迷った(2回目)
迷った結果ここへはそうそう来ないのだから記念にいい思い出を買おうという結論に達した!(2回目)

さてさて達磨を買ったらバスがやってくるくらいの時間になった
バス停で待っていると電柱にカラスがいるのを見た
3本足ではなかったがちゃんとカラスがいるのだなと思った
ここまで幸運なことに雨は降っていなかったのだが
天気予報通りに雨が降り始めた
バスがやってきた

ここからはバスで新宮駅まで戻ったあと
電車で那智駅まで移動
その後バスで那智大社前までいくルートである
乗り継ぎが何回かあったが運良く待ち時間はそれほどなくスムーズに那智大社まで行けた

まずは那智の滝である
滝があるのは熊野那智大社 別宮 飛瀧神社
すばらしい滝である

那智の滝



おそらく雨の影響か 滝が大きな音を立てて迫力があった
なるほど 昔の人はこれに神が宿ると考えたのも納得がいく 素晴らしい
社務所御朱印を貰う際に、御朱印帳に目がいった
那智の滝の絵があるすごく良いデザインの御朱印帳である
もうこれは(以下略)
だが買った御朱印帳の1ページ目は買った場所の御朱印にするというポリシーがあったので買うのは我慢した!

次は那智大社である
那智の滝から歩いて行ける範囲だった
「告 入山心得」という看板を見つけた
「残していってええのは足あとだけやで」
「持って帰ってかまんのは土産と思い出だけやで」
の文句が面白く感じた

石段を登っている途中で後ろをみると山が雲に覆われて幻想的な風景だった

那智の雨
神の画いた
山水画
人の筆では
これは画けぬ

山水画のよう

那智大社まで登りきるとそこから遠くに那智の滝が見える
良い風景だ

バス停への途中の道でなかなか良い出来の硯を見つけた
この辺は那智の黒石と呼ばれるきれいな石が取れるらしい
それを使って黒い碁石や硯、置物なんかを作っている
もうこれは(略)
しかし買っても部屋を飾る置物になる未来が見えたのでやめた

さて次は速玉大社へ向かうのだが
残念なことに途中でバスに乗り遅れてしまった
神社の閉まる17時に間に合わないのでこの日は向かうのを断念した

石段を多く登ったからかお腹がすいた
まだ明るかったのでおいしそうな店がないか新宮駅周辺を散策した
速玉大社近くに商店街を見つけた
そこから少し横道にそれたところに「豚珍亭」なる中華料理屋を見つけた
もうお腹がすいた!
よだれ鶏冷麺1,200円
チャーハン750円を注文した
何も考えず脊髄が注文をだした

注文をした後に店を観察してみると壁に「紀州岩清水豚の雲白肉」というおいしそうなご当地メニューを見つけてしまった
注文した後に美味しそうなメニューを見つけるのは外食あるあるのあるである

鶏冷麺が出てきた
茹でて油の落とした鶏肉がさっぱりしていておいしい
細かく刻んだトマトと水菜、白髭のような長ネギが入っていた
きっとパクチーが入っていたらなおのこと美味しいのだろうと思った
食べてみる
パクチーの味がする!
どういうことだと思いよく見てみると水菜に混じって少量のパクチーが入っていた
素晴らしい
この冷麺は当たりである

うまい!

速玉大社を調べてみると有名な神倉神社が近くにあることが分かった
明日は速玉大社のほか神倉神社に行こうと思う

6月15日終わり

熊野三山_1日目

2024/6/14
熊野三山_1日目

6月14日
有給で休みである
この日は奈良の橿原神宮か京都の石清水八幡宮へ遊びに行って
残りの土日は来週に迫った神社検定の勉強をしようと考えていた
しかしながら 職場の老人達に休みであることが知れると「日本一長い路線バスに乗れ!」とうるさい
もう耳にタコがだかイカができる勢いである
仕事をしていても寄ってきてそのことを話してくるし 近くを通過しても話してくる
そんなわけであるから とりあえず「考えておく」と言っておいた
この「考えておく」とはお断りの言葉である
日本語とは難しいものでこんな遠回りな言い方がいろいろとある
たとえば飲み屋で「連絡先を教えてくれ」と言われたら
「あなたの連絡先を教えてくれ あとで連絡する」というのもお祈りのワードである
行く気はなかったのだ
だが いつも同じような選択肢を取っていては同じ人生の繰り返しになってしまう
私は1日を365回繰り返す人生よりも充実した1年を生きる人生でありたいのだ
かくして私は「日本一長い路線バス」の旅にでることにした

バスの始発は奈良県大和八木駅から出ているらしい
奈良交通が運営しているバスである
1日に3本でている
1本目に乗るのは無理そうだったので 2本目の便に乗ることにした
たしか11時30分くらいに出発だったと思う
片道約6時間半の旅である
バスの終点は新宮という場所らしい
読み方は「しんぐう」和歌山県の南のほうである
事前に予約が必要と噂を聞いていたので駅近くの奈良交通観光窓口へ行った
窓口の方曰く「路線バスなので事前予約は必要ない」とのこと
降りるときに支払いを早く済ませたかったので窓口で事前にチケットを買っておいた
¥6,150だったと思う
始発から終点まで同じ便に乗った場合 記念品がもらえると教えてもらった

新宮駅行きチケット


長い旅になるので途中で何回か休憩のポイントがあるのだが食事は事前に買っておいたほうが良い
買う場所が山の中まで入ってしまうとないからである
私も乗る前にコンビニでおにぎりを買っておいた
飲み物もあったほうが良いが 路線バスにはトイレがないので飲みすぎには注意である
バスが来るまで1時間くらいあったので駅の周りを徘徊することにした
大和八木駅橿原市にあるのだがどうやら市とCAPCOMがシティーセールスというものをしているようだ
ストリートファイターのキャラクターの銅像をいくつか見つけることができたなぜ橿原市CAPCOMがそういったことを始めたのかは謎である

キャラクターの銅像

 

出発の時間が近くなったのでバス停へ向かった
すでに何人か並んでいた
しかし この日は平日だったので座席に座れないことはなさそうである よかった
バスがやってきた
本当に路線バスである!
長距離だから座席とかが特別仕様・・・なんてことはなかった!
優先席もあるし 黄色い手すりもある つり革もある!ちゃんとした路線バス!

新宮駅までの路線バス


私は運転席後ろのお一人様用の席に座った
なんだかワクワクしてきた
乗車後に運転手さんから終点まで行く乗客の確認があった
私と老夫婦 新婚さんの計5人が最後まで乗車するようだ
お一人様が私だけだったので少し気まずく感じた
事前の確認は記念品の準備が関係しているようだった
私は片道6時間半ずっと起きているつもりでいたのだが
発車後 前日の仕事の疲れからか気が付いたら寝てしまっていた
目が覚めたのは最初の休憩ポイントの五條バスセンターである

ちょうどそのあたりから山の中を走り始めたように思う
山道は揺れるので乗り物酔いする人は地獄かもしれない
乗り物酔いする人は運動神経が良い人が多いらしい
運動神経の良い人は三半規管が敏感でそれが災いして乗り物酔いするそうだ
私は幸運なことにそこまで運動が得意でないので酔わなかった!

青々とした木々の中をバスが走っていく


自然は良い
ただただボーッと向かい側の渓谷の風景を眺めていた

周りが緑になってくる

ただの路線バスが山道を走っていると中はだいぶ騒音がする
ところどころでバスの観光案内があったが聞き取れないことが多かった

しばらく走っていると川が見えてきた
おそらく十津川(熊野川)である
透き通った水が美しい

2番目の休憩ポイントに到着した
場所は十津川村 上野地停留所
十津川村は日本一大きい村らしい
琵琶湖より少し大きいくらい
歴史的にもとても重要な村らしく 税が朝廷から免除されていた期間があるとかバスのアナウンスであったが
詳しいことはよく聞き取れなかった
ここには日本一長いつり橋があるそうだ
休憩時間は2~30分程度あったので行くことにした
この路線バスを勧めてきた老人会も「長いつり橋があるぞ」と言っていた
つまりは意訳すると「渡れ」ということである
つり橋の名前は「谷瀬橋」昭和29年3月に完成した橋らしい
昭和29年といえば自衛隊が発足したり 1円未満の通貨が廃止されたくらいの年である
すごく昔である
つり橋の長さは297m 高さ54mあるらしい 看板に書いてあった
とりあえず渡ることにした
私は高所恐怖症なのであまり下は見たいように心がけた
丁度真ん中くらいまで歩いたときに気づいたのだが
この橋 薄い木の板一枚が割れたらその下にネットも鋼線も張っていない
つまり真っ逆さまに落ちるのである
ふー
深呼吸
とりあえず板が割れても近くにしがみ付けるように覚悟をしながら渡り切った
さて 次は戻りである
同じ要領で橋を渡り始めてちょうど真ん中くらいまで来たあたりで風が吹き始めた
ビュービュー音が鳴っている 橋も揺れる 最悪である
しかも目の前に結構な人がいた
この橋20人以上乗ってはいけないはずなのだが20人くらい乗っている
「谷瀬吊橋渡橋注意」の看板
(1)この橋は一度に20人以上渡ると危険です
もう生きた心地がしない
早く渡り終えたい
なんとか無事渡り終えた 橋の横をみると小さなお地蔵様が鎮座していた
無事に感謝して小さな木箱に100円を置いてきた

日本一長いつり橋

バスが発車してしばらくすると「~湯」という停留所が多く出てきた
温泉が多い地域に入ってきた
川も十津川から熊野川に名前が変化した
バスのアナウンスでは「このあたりから川の名称が熊野川へと変わります」と言っていたが
私は思うに川の名称の変化は場所的なものではないと思った
川を見ると無色透明だった川の色がシアン色に変化していくのだ
最初この色は藻かなにか植物やプランクトンに由来するものかと思ったが 温泉由来の鉱物によるものだと思う
植物由来なら水に濁りがあるがそれがなかった
昔の人は場所というよりこの色の変化をもって十津川から熊野川への変化と考えたのではないだろうか

この明るい青緑色の川を見ているといろいろと思うことがあった
民俗学のような話になるが
昔 川と龍を同一視する考えがあったそうだ
川の形は長細く 荒れ狂う川が多くのものを飲み込む様がまさに龍のようである点などからである
この青い川はまさに青龍のようである

また普通でない水の色から紀伊半島に風土病があることを思い出した
牟婁病(むろびょう)」とか「紀伊ALS/PDC」と呼ばれている
体が動かなくなったり 認知症のような症状がでるらしい
古くは江戸時代から知られている病である
原因はまだわかっていないが水が疑われたことがあったらしい
この川の水をみているとそんなことを思った

最後の休憩ポイント「十津川温泉」に着いた
おそらくここに足湯を楽しむ場所があったようなのだが
休憩時間が10分ほどしかなかったため外を歩くのはやめておいた
このポイントで運転手さんから記念品を貰った
吉野杉で作られたしおりである
しおりには乗車日とともに
「あなたは(途中略)同一便で完全に乗車されたことを証明します」と印字されていた
なかなか良い記念になるものを手に入れた

記念品_令和6年6月14日

本宮大社前」にバスが止まった
大きな黒い鳥居が見える
「ここが熊野本宮大社か」と思った
降りようか迷ったが降りてしまうとせっかくもらった「完全乗車証明」が嘘になるので我慢した

終点の新宮まで約1時間である
google mapを見る限り新宮は町なのだが 未だ山と森が続いているので本当に新宮が町なのか不安になった

泊まる場所の予約を取ることにした
前日まで泊まるつもりでいたホテルは満室で予約が取れなくなっていた
「真冬でもないし野宿でもいいかな」と思ったが 次の日が雨だということを思い出した
さすがに泊まる場所を探さないとまずい
到着場所から徒歩で15分くらいの場所に良さそうなホテルを見つけた
予約が取れてよかった

そうこうしているうちに終点に着いた
だいたい19時くらいだったと思う
疲れた 腰が痛い お腹もすいた

終点の新宮駅_時刻18時25分

とりあえずホテルに直行した
あまり接客慣れしてなさそうな人がフロントの対応だったが
スタッフさんの慣れないなりに頑張っている感じが伝わってくる
良いホテルである!
2泊で予約したが連続で同じ部屋は取れなかったらしく明日はまた別の部屋へ引っ越しである
1日目の部屋は5階であった
なかなか広い部屋に感じた
ちょっと前に名古屋の激安ホテルに泊まった時は2畳くらいしかない部屋だったから城のように広く感じた
WIFIの電波も良好!
机にホテルのアンケートが置いてあった
どんな内容か確認するとすでに回答が書かれている
お掃除のスタッフさんが回収し忘れたのだろう
慌てん坊さんである
日付を確認すると どうやら私の前にここに泊まった客の返答らしい
選択式の答えのほぼすべてが満点だった
これは良い
私の目に狂いはなかった
ここは良いホテルである!

荷物を置いたら飯である
もう日が沈んで遠くまで町を散策する元気もなかったので近場に良さそうな店がないか探した
海が近かったので魚を食べたいと思った
何件か見たがちょっとお値段が高いように感じた
黒潮寿司」なるチェーン店で食べることにした
寿司を注文してから出てくるのが速い!
エンガワとカツオが特に美味しかった
エンガワに生姜がついているのは初めてだったがなかなか良かった

食べ終わった写真 残念なことにネタの写真をほぼ撮っていなかった

ホテルに帰って明日の計画を練ることにした
せっかく熊野本宮大社近くまで来たのだ
熊野三山(本宮 速玉 那智)は絶対に帰る前に行こうと決めた
細かいバスや電車のルートを考えてから寝た
疲れていたらしく21時半くらいにはもう寝たと思う
明日は熊野本宮大社からである


6月14日終わり

株主総会の体験

2024/6/27
株主総会の体験

世の中には株主総会という不思議な催し物がある
ずいぶん昔 東証プライムがまだ東証一部と呼ばれていたころに某有名企業の総会に行ったことがある
都内のなんだか高そうなホテルの大広間が会場であった
私はずいぶんラフな服装で行ったが ほとんどの人はスーツであった
私以外にもフォーマルでない服装の人はいたが おそらくどこかの社長さんとかだろう
入場する前に会社のロゴが入っている大きな缶を渡された
中にはロゴ入りのクッキーが入っていた
私はあまり興味がなかったから実家にいる母に渡したことを覚えている
母は甘いものが好きなので おそらく全部ひとりで平らげただろう
あの缶はまだどこかに残っているのだろうか
さすがに缶までは食べれないから残っているかもしれない
総会では会社の事業内容 売り上げ利益の推移の説明 それから役員の選任案の議決 そういったことが行われた
案の議決が行われる際に議長が「ご賛成の方は拍手をお願いいたします」なんて言って
皆がパチパチと拍手をする様が奇天烈な儀式に見えて面白かった
転勤などもあり都内に行くのが億劫になったり 株への興味も失ったから総会にはそれ以来行っていない

最近 興味の沸く事業内容の会社を見つけて株を買ってみた
会社の規模はそこまで大きくない
上場の区分はグロースである
人によっては大したことない企業と思われるかもしれない
しかし 私はこの企業に不思議と惹かれるものがあった
株を買うともちろん「株主総会招集ご通知」が送られてくる
去年は都内の某所で総会が開かれたらしい
なので総会の日は休みをとってそこに行こうと考えていた
「ご通知」の封を切って中身を検めてみると
今年は会場がなくリモートでの開催であった
都内まで行く手間が省けて良い
同時にリモート株主総会は初めてなのでどんなものかと思った

当日 専用のページからログインする際に手間取ったが何とか入場できた
総会は午前10時からであった
凡そ1時間20分くらいの開催であった
良く見慣れているその会社の社長さんがいろいろと説明をした
開口一番の声が枯れている
画面から見て社長の左側に置かれているペットボトル
もうほとんど最初から水が残っていない
おそらく直前まで何度もリハーサルをしたのだろう
私よりは年上であるがそれでも若い社長さんである
話の途中で噛むことが多々見られたが一生懸命さが伝わってくる
良い社長である
社長の話し方を見ていて周りの部下の優秀さが伝わってくる
話しているセリフのほとんどがおそらく部下の用意したものであろう
社長の顔は正面を向いているが 目の動きから台本を読んでいるのがわかる
事前に送られてきた質問には台本が用意できるが
当日送られてきた質問に対しても台本が用意されるのには驚いた
諸葛亮龐統士元のような優秀な文官がいるのは一目瞭然であった
ではすべて台本が用意されているのかというとそうでもない
社長しかわからないような質問もある
「昨年急激に痩せたことから病気ではないかと噂も聞いたが 現在の健康面での懸念はありますでしょうか」
こんな質問は本人にしかわからない
「えーと」「あのー」と動揺しているのが伝わってきて台本がないのがすぐにわかる
目の動きも台本を読んでいるときのそれではない
どうやら健康に気を付けてダイエットをしただけのようであった
「事務局と相談する」と言って「しばらくお待ちください」の画面になることもあった
画面が切り替わって元に戻ると社長の横にあるペットボトルの水が満タンまで回復していた
事前に水を用意していた部下がいたのだろう
さすがである

このリモートの総会はすごい
拍手のような摩訶不思議な儀式がないから味気ないのだが
完全に正確に票が集計される点は拍手より確実であろう
最近できた新しい企業だからこそ こういったことに挑戦していくのであろう
古い体質の企業ではおそらくやらないと思う
面白いものを勉強させてもらった

この総会をみていて思ったことがある
事業内容や利益は重要であるが やはり人が一番重要である
この人なら投資しても良いと思えるような人に投資すべきだと思う
いくら事業内容が立派に見えたり 利益の出ている事業でも人格のゆがんだ人たちでは駄目である
それに気持ちの良い人に投資したなら株価が下がっても良い投資をしたと割り切れるものである
私はいままでそういったことを考えなかったが この総会を見ていてそう思った

いつかの日記(お年玉)

2024/1/2
お年玉

朝、父が孫(私にとって姪)にお年玉をあげる必要があるとそわそわしていた
千円にするか一万円にするかと悩んでいた
父は言った
「(父の勤めている)職場の人間たちは一万円も3歳の子供には渡さないだろう それにあまりカネがない」
そうして渡すのは千円にする結論に至った
普段はカネがあるだのなんだの見栄を張っているくせになにを言っているのだ
そもそもカネがある人間なら外食の時に割引クーポン券がないくらいでおたついたりはしない
父は江戸っ子である
江戸っ子とは三代 江戸生まれの江戸育ちが続いたら名乗れるらしい
こんなケチ臭い江戸っ子なんているのだろうか
百歩譲ってケチは良いにしても 自分の孫にまでケチなのには呆れた
そこで私は諫めて言った
「一万円にしたほうが良い」
父は言う
「なぜか」
私は答えて言う
「それだけ大切にしているということが孫に伝わり、差額の九千円以上のものを得るでしょう」
それでも父は悩んでいるようであったから私の財布から一万円を出して父が用意したものとしようとした
しかし、財布から出す前に父は一万円をお年玉とする決心がついたようだった
「あとで職場の人間にどれだけお年玉を出したか聞いてみる」と納得いかない様子であった
この後、仮に私が父から「やはり一万円は出しすぎだった 皆そんなに渡していない」という抗議を受けたならば、
私は「それはよかった」というつもりだ
それに対して父はこう言うであろう
「なぜか」
私は答えて言う
「他の人が出さないような額のお年玉を孫に与えたのであるから、それだけ孫を大事にしていることが周りに伝わり、一目置かれ、人から軽んじられることはないでしょう」と

食べ物を粗末にするべからず

食べ物というものは粗末にするものではない
食堂でサラダを手に取ったそこのお嬢さん
取ったからにはそれは食べなければならない
体調が悪くて残してしまうのは仕方がない
わたしもそういう日が年に1,2回ある
しかし、取ったサラダにまったく手を付けずに捨てるとは何事か
サラダはファッションではない
「野菜を食べています」というふりをするためのものではない
なんとけしからんことか
サラダに限らず食べ物は粗末にしてはならない
茶碗の白米も米粒一つ残してはならない
私なんかはゴマの一つも残さない
親に「みっともないからやめなさい」と叱られたことがあるが
何がみっともないか!
食べ物を粗末にするほうがみっともないではないか!
いつか名古屋の「とみやま」という蕎麦屋に行った時のこと
何蕎麦を頼んだか忘れたが店員から「大丈夫ですか?」と言われた
何のことかわからず「大丈夫ですよ?」と答えた
しばらくすると狂ったような山盛りの蕎麦が出てきた
私はそれも平らげた
胃が破裂するかと思った
その日は名古屋で食べ歩きをしようと思っていたのに1件目がそれだったから
計画が台無しになってしまった
会計時に店主から「どうでした?」と聞かれたものだから
景品表示法違反 事実誤認(蕎麦が多すぎる) 及び 殺人未遂罪(凶器蕎麦)だ!」
と抗議してやった
店主は悪びれる様子もなく笑いながら
「また来てください」なんて言いやがる
味は悪くなかったからまた行こうと思うがとんでもない蕎麦屋である
途中話が脱線してしまったがいずれにせよ食べ物はきちんと平らげるべきであると私は常々思うのである