熊野三山_3日目

6月16日
昨夜は夕食を食べた後、神倉神社と速玉大社のルートを途中まで下見に行ってきた
準備は万端である
今日も朝食はホテルのビッフェにした
昨日とメニューが違う!
魚の代わりにシュウマイがある!
マカロニサラダは昨日なかった!
中華春雨もおいしそうだ!
紀州の漬物はおいしいのだろうか
満足である

朝食がうまい

今日は最終日
帰りの時間も考えながら行動をしなければならない
そんなに時間もない
朝食後は荷物をまとめ、フロントにお礼を言ってから神倉神社へ向かった
神倉神社は何が有名かというとそれはもう「ゴトビキ岩」であろう
神社好きなら写真で一度はみたことがあるであろう
和歌山にあることは知っていたのだが山奥にあるものだと勝手に思っていた
それがなんと新宮の町から歩いて行ける範囲にある!
ゴトビキ岩を見るだけであるなら国道42号沿いに「神倉神社フォトスポット」と看板のある駐車場から見ることができる
だが遠くからなので小さく見えてあまりあり難さを感じない
これは目の前で見ないと感動が味わえないのだ
見た感じそこまで高くない山の上にゴトビキ岩が見えたので行くのに苦労しないと思った
道も複雑ではなくすんなり最初の鳥居まで来れた
「毒へび(まむし)に御注意下さい」の看板を見つけた
出てこないことを祈る
私以外にも旅行者が一人いた
だいたい同じくらいのタイミングで登り始め、そして途中で引き返した
石段を登っていくのだが、もはや石段ではない
ただ石が積まれただけの絶壁である
二足歩行すら困難なのにこれをこんどは下るとなるともう危ない
降りた後その旅行者と「こんなもん登れませんわな ははは」と談笑していると上から誰かが下りてきた
目を疑った
人間か?
人間にあらず仙人に違いない
仙人に問うた
いかにして登るのかと
仙人答えて曰く「目に見えているところだけが急で、それを超えれば楽」とのこと
私と一緒にいた旅行者の方は登るのは無理と考えて帰ることにしたようだ
私は彼にはフォトスポットが国道沿いにあることを伝えておいた
せっかく来たのに残念である
さて私は登ると覚悟を決めた
仙人によるとどうやら片道30分くらいで登れるらしい
もはやこの断崖絶壁を二足歩行で登るのは無理と私のシナプスたちは結論をだした
そこから導き出される答えはただ一つ
四足歩行である!
もはや人間としての尊厳などというものは捨てて獣になるのである
私は頭を稲穂のように山頂のほうへ垂れて四足歩行を始めた
ホントに坂が急でつらい
こういうときは「えっさほいさ」と声をだすと良いとどこかで聞いたことがある
プラシーボ的なものかもしれないが多少呼吸が落ち着いた
そんな私の様子を揶揄うように石段をカニがうろうろしていた
汗がしたたり落ちる
ボロ屋の天井から雨漏りしているようである
たしかに仙人の言う通りとても急な斜面は最初の2~30mくらいだったと思う
そこを過ぎると平らな一休みできる場所が現れ
それ以降は二足歩行で歩ける斜面になった
ある程度登ると石段が途中までしかない場所に着いた
横に小さな道があり手水舎もあった
山の下にも手水舎があったがここにもあるのはあり難い
汚れた手を洗って道を進む
道はすぐに終わってひらけた場所にでた
太平洋が見える
絶景である

良い景色



筆舌に尽くし難い感動である
神倉神社は24時間開放されている
明け方前に山を登り、朝日をここから見ると素晴らしいものになるのだろうと思った
そのひらけた場所の横に石段があり上に小さな祠と巨大な岩があった
ゴトビキ岩である
言葉が出ない
なぜこんなところにこのような大きな岩があるのだろうか
人知の及ばない力がここまで持ってきたとしか思えない不思議さがあった

ゴトビキ岩



ご神体の岩に祈った後しばらく余韻に浸ってから下山した
下山するときにまた何人か登ってくる人たちを見かけた
その中に小さな童がいたのが衝撃的だった
あれはきっと仙人に違いない
鵺があるときは虎に、猿に、蛇に見えるように仙人も小さな童に見えたのであろう
私の目はごまかせない!あれは仙人だ!
登りよりも下りのほうが危ない
三点支持を意識しながら少しずつ後ろ向きに降りて行った
途中、杖をついた老人が登っていくのを見た
老人は旅行者らしく「初めて登る」そうだ
下りは危ないだろうから気を付けることと、最悪杖を捨てて四足歩行で下ることをお勧めした
山の一番下にも賽銭箱があったので老人の無事の下山を祈りつつ速玉大社へ向かった

朝の9時台だったと思う
おそらく観光客が多く来る速玉大社もこの時間は静まり返っていた
やはり神社は静かなほうが落ち着く
神倉神社の御朱印もこちらでもらえた
私はこの速玉大社でぜひ見たいものがあった
神像である
仏像というものは寺に行けばほぼ見つけることができるが神像はめずらしい
もともと神社の神様は山、岩、滝、木などの自然物や、鏡や刀などを依り代とするので神像というのはなかったのだ
それが奈良時代に本格的に仏教が入り始めるとその影響を受け仏像にならって神像を作り始めたそうだ
速玉大社でそれがみれると聞いていた
熊野神宝館という場所にありそうだったのでそこに入場した
受付の方に聞いたところ確かに神像は速玉大社のものであるが
保管は和歌山県立博物館が行っているそうでここにはないとのこと
残念である
しかしせっかく来たので展示物をみることにした
入場料は500円だったと思う
南北朝時代のものが多く展示されていた
特にすごいと思ったのは「髪くし」である
おそらく機械でもあそこまで精巧な加工はできないであろう
しかも加工物は金属ではなく脆い木材である
また他の装飾品についても工作機械のない時代にどうやってここまで正確なパターンを加工したのだろうとか
当時の職人たちの技術力の高さに感動していた

速玉大社を見終わってまだ時間が1時間半くらい残っていたので阿須賀神社へ向かうことにした
ホテルのフロントの方がお勧めしていたお菓子屋さんを途中で見かけた
行列ができていた
お土産を買わなければならない
そう思って入店したのだが 時間がない
私は焦っていてあまりお菓子を見れずにその辺のお土産屋にもありそうな飴玉を買ってしまった
買った後に何をやっているのだと思った
次回 神宮に来た際はちゃんとお菓子を吟味したい
途中で新宮城跡も通過した
ここも見たかった
非常に残念である
また来る機会があれば次はぜひ見たい
須賀神社には非常に面白い祠がある
徐福之宮である
徐福とは秦の始皇帝に不老不死の仙薬を献上するとかで大陸の東に渡った人である
この近くには徐福の墓なるものもある
実際に徐福がこの地へやってきたかは今のなっては不明である
ここでも御朱印を貰うことにした
社務所にいた宮司さんか氏子さんかわからないが対応してくださった方がとても気さくな人だった
御朱印御朱印帳に記すもののほかに良さそうな特別御朱印があったのでそれも頂いた
「調和」を意味する御朱印らしい 非常に良い意味でぜひ欲しいと思ったのだ

帰りはJR新宮駅から出ている「特急くろしお」を利用した
来る時と同じ日本一長い路線バスを使おうとも考えたがそれを使うと速玉大社と神倉神社が行けないからやめたのだ
11時半くらいに発車する列車に乗車した
乗ってから思ったのだが可能なら窓際Dの席をお勧めする
私は窓際Aの席だったのだがDなら太平洋を眺めながら帰ることができた
15時40分くらいに天王寺、だいたい16時くらいに新大阪に到着した
今回の旅のお話はここまでである
なかなか良い旅であった

帰りの切符